KEITAの物語 序章 第二話

テニス追加22

 

序章
「栄光の中学時代と暗黒の高校時代!まさに光と闇!

KEITAの壮絶なソフトテニス時代、

今なおテニスに情熱を燃やし続ける理由とは?」

第二話
「挫折」高校中期~後期

———————————————————————

前回のストーリーはこちら

 

フォアハンドの調子がおかしい・・・。

 

いつその症状が現れたのか、

今となっては明確には覚えていません。

 

ただ、最初はちょっとした不調だと思っていました。

よくあることだと、特には気にしていませんでした。

 

僕はフォアハンドによく好不調の波が起きやすいタイプでした。

 

僕は後衛だったので、サーブ以外、ほとんどはストロークをメインに打っていました。

 

しかも軟式の場合バックにボールが来ても、

フォアハンドで打つように教わるので、

試合中は9割近くをフォアハンドで打っていました。

 

つまり「フォアハンドが使えなくなったら試合にならない」

ということです。

 

そこでフォアハンドに波の激しい僕は試合前など、

今日のフォアハンドの調子はどんなものかといつも気を張っていました。

 

しかし、ソフトテニスの場合一日でトーナメントを消化することが多く、

初戦の相手はだいたい弱いため、

最初調子が悪くても勝ち進むにつれて徐々に調子を整えることができていました。

 

しかし、ある時期の試合中からフォアハンドの感覚がおかしく、

しかもそれがなかなか直らないということが

頻繁に起こるようになりました。

 

でも、自分は緊張しいなので、

最初はそのせいだと思っていました。

 

その証拠に試合が終わり、練習してみると、

いつものように打つことができました。

 

なので、あくまでメンタルの問題だろうと思っていました。

 

「練習が足りないから自分に自信が持てないんだ、もっと練習しないと・・・」

 

そう思った僕は、より一層練習に集中して取り組むようになりました。

 

 

しかし、徐々にフォアハンドの感覚が掴めないことが、

試合中たけでなく普段の練習中にも起こるようになっていったのです。

 

練習なので試合のようには全く緊張していないのに、

単純に感覚がいつもと違う。

 

ラケットの振り方がわからず、

ボールをコントロールできない。

 

良いときのスイングのイメージは鮮明に覚えているのに、

なぜか身体がそのイメージ通りに動いてくれない・・・。

 

このような症状は日に日にひどくなり、

ある遠征先での練習の時にはついに

ボールが一球もネットまで届かなくなるという

異常事態が起こってしまったのです。

 

 

僕は自分の身体でありながら

いったいどうなってしまったんだと本当にわけがわかりませんでした。

 

周りの部員や非常勤でたまに来てくれるコーチに

このことを話しても、まったく誰も原因がわからないのです。

 

それどころか、

コーチや他の部員もそんな状態で、

試合に出てもほとんど勝てなくなってしまった自分に対して

少なからず白い目で見てきたり、

憤りを見せるようになっていきました。

 

しかも僕がいくら

「感覚が全くわからない」

「イメージ通りに打てない」と言っても誰もその気持ちを理解できず、

 

「ちゃんと練習してないからだ」とか

「気合いが足りないんだ」

とか言われて相手にしてもらえませんでした。

 

まあ、一時県で準優勝した選手がそんなことを言うのですから、

理解されなくて当然ですね。

 

僕はある遠征先のミーティングで、

当時ミズノの社員として大会のサポートに来られていた、

現在もソフトテニス界のエースとして活躍する

K選手にこのことを直接相談してみましたが、

全く相手にされませんでした。

 

それどころか皆の前でよくわからない質問ということで

笑われるという非常に残念な結果となってしまいました。

 

 

「ああ、誰もこの悩みをわかってくれないんだ」

僕はそれ以来この悩みを誰かに話すのを止めました。

 

誰にも理解してもらえない悩みを抱える中で

僕はしだいに部の仲間やコーチとも孤立していきました。

 

結局その後は症状は一時的に軽くなったりするものの、

根本的には改善せず、部を引退するまで続くことになります。

 

僕は一年生時の活躍がウソのように

県大会以上ではほとんど勝てなくなってしまいました。

 

中学時代は圧倒的な実力差で勝ってきた相手に次から次へと敗れ、

最初は勝って当たり前だと思われていたのが、

いつしか勝ったら驚かれるようになっていました。

 

結局インターハイなど全く話にもならず、

一年生でベスト8になった県選手権はその結果が最高となり、

新人戦ベスト4がきっかけでその後県の推薦で参加した、

U-18代表の先行会では最下位のクラスに振り分けられるというザマでした。

 

最後の引退試合は中学の時のようにはよく覚えていません。

 

ただ涙は出ませんでした。

もう涙を分かち合える仲間もいなかったのです・・・。

 

このように高校入学前からの僕の夢は叶わなかったどころか、

当初は想像もしていないような散々な結果に終わったのでした・・・。

———————————————————————–

ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。

 

なぜこのような事態になってしまったのか・・・。

当時は本当にその原因が全くわかりませんでした。

 

今考えると、この時僕が陥った症状は

一般的に「イップス」と呼ばれるものだと思います。

 

イップスとは、テニスやゴルフなどの競技で比較的多く見られるらしく、

有名なところでは、マリア・シャラポワも

一時期サーブでこのような症状に悩まされていたそうです。

 

 

このような状態になってしまったのは、

ひとつは僕にとってフォアハンドが

感覚的に未成熟な技術だったことが原因だと思います。

 

そこでふとした拍子にその感覚が崩れ、

それを僕は複雑な「理論」でカバーしようとしました。

 

ひたすら自分のフォームの良くないと思うところを直そうとしたのです。

 

しかし、今思えばそれがいけなかったのです。

 

僕は「ボールを打つこと」ではなく、

自分のスイングフォームばかりに意識を向けてしまっていたのです。

 

ラケットをどう振るか、身体の向きをどうするか、

テークバックをどうするか・・・。

 

ボールを「打つ」ことには直接関係ないそれらの要素に縛られ、

自分自信でどんどん本来持っていたはずの「感覚」を

殺していってしまったのです…。

 

その結果、ガチガチの「思い込み」にとらわれた僕は、

長い間フォアハンドに「イップス」を抱えることになってしまいました。

 

皆さんには僕と同じような目には合って欲しくありません。

 

もしも、僕と同じような症状にお困りでしたら、ご連絡ください。

きっと力になれると思います。

———————————————————————–

明日で序章は完結します。

 

人生で初めて大きな挫折を味わったKEITAは、

しかしテニスへの情熱が消えることはありませんでした。

 

「復活」を遂げるためにKEITAが選んだ道とは・・・。

 

 

PAGE TOP