KEITAの物語 序章 第一話

テニス追加22

 

序章
「栄光の中学時代と暗黒の高校時代!まさに光と闇!

KEITAの壮絶なソフトテニス時代、

今なおテニスに情熱を燃やし続ける理由とは?」

第一話
「栄光」中学~高校前期

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プロフィールに書いてあるように、

僕は中学から高校まではソフトテニスをしており、

それなりに結果を出すことができました。

 

僕の入学した中学校には、通常のソフトテニス部の他に、

外部コーチが主催するソフトテニスクラブもあるという珍しい学校でした。

 

ほとんどのソフトテニス部員がクラブの方にも在籍し、

また練習場所も同じ中学校のコートを使用していたので、

テニス部の顧問の先生と外部コーチの二人から指導を受ける感じでした。

 

今思えばとても恵まれた環境だったと思います。

 

平日は朝練と授業後の通常の練習の後、クラブのナイター練習が週に2日あり、

さらに土日は部活がなかったとしてもクラブの練習は必ず一日中あったので、

ほんとうにたっぷり練習することができました。

 

しかし、当時は大変でした。

顧問の先生は優しかったのでが、

コーチがとても厳しい方で練習中は怒鳴られてばっかりでした。

 

試合に負けると正座させられて説教されたり、

ラケットで叩かれることもありました。

 

よく

「うちより練習してる学校なんて山ほどあるんだ!

N中なんて夜中まで練習してるだぞ!

おまえらもっと頑張んなきゃ勝てないぞ!」

と言われていました。

 

しかし実はこの話は後でうそだとわかりました(笑)。

 

試合会場で仲良くなったN中の子に聞いたら、

土日はたいてい半日練だそうです。

 

おそらく、コーチは僕たちにより一層の努力をさせるために、

わざとこのようなことを言ったのでしょう。

 

なかには本当にうちより長く練習してる学校もあるでしょうが、

間違いなくうちの学校の練習量は、

全国でもトップクラスだったと思います。

 

そんな練習の甲斐あって、

僕たちは最後の夏の県大会で団体戦で優勝。

 

僕自身も個人で準優勝するほどの成績を収めることができました。

 

男子の関東大会出場は僕たちの代が初だったらしく、

例の鬼コーチも この時ばかりは満面の笑みで喜んでいました。

 

しかし、その後の関東大会では残念ながら2回戦で敗れ、

当初からの目標だった全国大会に出場することはできませんでした。

 

最後の試合に敗れた後、帰りの車の中で、

皆でひたすら大泣きしたのを覚えています。

 

楽しいことも辛かったことも本当にたくさんありましたが、

多感な時期を大切な仲間と共に過ごし、

共に汗と涙を流せたことは僕にとって一生の宝物です。

 

 

この時、僕の中で

「高校でもソフトテニスを続け、今度こそ全国(インターハイ)に行く!」

という新たな目標ができました。

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しかし、その後は進路に悩むことになります。

 

僕的には最初、県内でも強豪で、

中学のソフトテニス部の先輩も多くいる私立のS高に進もうと考えていました。

 

しかも、そのS高が自分を特待生として入学させてくれるというのです。

 

入学金と授業料は通常の半額で普通の公立高並み。

 

「これはもう行くしかない!」

 

僕はもうすっかりS高に入った気でいました。

 

なぜなら僕の頭にはソフトテニスで

インターハイに行くことしか頭になかったからです。

 

 

しかし、ここで予想外のことが起こります。

 

親や中学の担任の先生からS高へ進学するのを反対されたのです。

 

そこそこ勉強ができた僕は、内申点とテニスでの成績を合わせれば、

学区で一番偏差値の高いH高校に進学できると言うのです。

 

しかし、H高にもソフトテニス部はありましたが、

S高に比べたらそのレベルはだいぶ劣ります。

 

しかもH高の男子ソフトテニス部には、

ソフトテニスを専門で教えられるような先生やコーチがいなかったのです。

 

この時僕の心は揺れました。

 

この頃僕はまだ真面目な子だったので(笑)、

両親や先生の言うことに素直に従ったほうがいいのではないか

と思ったのです。

 

そしてさらに、僕の心を揺らす出来事が起こります。

なんと僕と同期の他の中学でライバルだったやつらが

続々とH高に入ることがわかったのです。

 

「あいつが入るならおれも!」

 

そんな感じで一人入るからもう一人、さらにもう一人と、

H高に入るやつの名前は日増しに増えていきました。

 

果てにはなんと、

僕が中学時代に組んでいたペアまでもH高へ行くと言うのです。

 

ここで僕の考えが変わりました。

 

「今は弱いと言っても、こいつらと一緒に俺たちの代で強くすればいいんじゃないか?」

 

「指導者がいなくてもこいつらと一緒に練習すればうまくなれるだろうし、

先輩が弱い分早い時期から試合に出られる。

そうすればその分、他の強豪高へ行ったやつらよりも

早く試合経験が積めるんじゃないか」

 

僕は結局S高からの推薦を断り、H高へ進学することにしました。

 

 

予想通り、僕は早い段階で団体戦のレギュラーの座を掴むことに成功します。

 

一年目はインターハイこそ出場できませんでしたが、

個人でいきなり県選手権でベスト8、

その後の県新人戦ではベスト4と

いずれも同期の中では最高の成績を残すことに成功します。

 

いち早く結果を出した僕たちに対し周りからも

「一年ではKEITA組がダントツだな」

と評価されるまでになっていました。

 

僕自身、当時は

「これからもっとうまくなるだろうし、

そうすればインターハイ出場どころか

インターハイ本戦で上位に食い込むのも夢じゃない!」

と、自信に満ち溢れていました。

 

自分の未来は明るい、そう確信していました。

 

・・・しかし、

 

この時すでに僕の背後には、

その後長く続くことになる暗黒の時代の影が確実に迫って来ていたのです・・・。

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ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。

 

僕は中学時代は本当に指導者に恵まれました。

 

技術や戦術を教わったのはもちろんですが、何より

「努力すれば結果が出る」

ということを、激しい練習の中で身をもって感じることができたと思います。

 

今でもこの感覚は、僕の人生においての「核」となっています。

 

しかし、次回第二話

一見順調そうに見えた僕のテニス人生は一変し、

突如として「転落」の日々が始まります。

 

 

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